2010年1月5日火曜日

成瀬地蔵(千葉県船橋市西船橋周辺)

大六天神社を出て、西船橋駅へと戻ることに。15分〜20分ぐらいならバスに乗るより歩いた方が絶対いい。バスが来るのを待っているぐらいなら、歩いてみるとその土地の新しい発見が必ずあるものだ。

すると京成電車の線路の手前の路傍に、お地蔵さんが祀られているのを発見!
案内によれば、「成瀬地蔵」または「木戸内地蔵」というらしい。


なんでも、犬山城主、成瀬正成の次男・之成がこの一体を領主として継いだのだが、宇都宮・吊天井事件に連座して切腹。その跡を1歳の之虎が継ぐも5歳で夭折。貞享4年、之成の怨霊供養と夭折した之虎や地元の子らのために、印内村・木戸内の名主田中徳左エ門・忠左エ門の両人と女性だけの念佛講中によって寄進された地蔵とのこと。
先ほどの、成瀬氏の菩提寺の宝成寺とちょうど京成西船駅を挟んで位置するのも面白い。

ちゃんと船橋市も郷土史の案内などを整備しているので、嬉しい限り。土地の由来をしらなければ郷土愛など育つはずもないからね!

駅前のマクドナルドで休憩をして、自宅に戻った。


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印内 大六天神社(千葉県船橋市西船橋周辺)

八坂神社を後にしてバス道に出ると、すこし離れたところに大きな木々がみえる。こりゃ、神社だな!と向かうことにする。


案の定、神社の鳥居が見えた。
大六天神社との名称だが、面白いのは鳥居が私の背丈よりも小さいこと。
よいしょとくぐって中に入ると、トタンで囲われた社殿があった。



中を覗くと、小さな社殿が見えた。

「大六天」は、第六天魔王といい、仏教の「他化自在天」のこと。明治の神仏分離令により「面足命(オモダルノミコト)」と「惶根命(アヤカシコネノミコト)」の二柱をこれに当てて祀ったものが多いとされる。

ここの大六天神社は、由緒書もないので、御祭神が不明だが、おそらく上記の二柱を祀っているのだろう。


小さな鳥居の脇の木々(タブノキ?)は本当に立派であったが、神社自体は氏子組織がしっかりしていないのか、寂しい様子が残念だった。


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印内 八坂神社(千葉県船橋市西船橋周辺)


さて、寺内の妙見神社を後にして北に歩く。途中、「ゲエロの池」なるコンクリで囲われた池があったんだが、昔のこの辺りに水が湧き、たくさんのウシガエルやホタルがいたらしい。カエルの“ゲロゲロ”が変じて“ゲエロ”になったとのことだ(笑)
ホントコンクリートで造成された人口池なので、当時の面影はまったくないが、名称と合わせ公園として残すだけでも意味はあると思う。
ま、見た目がなんのことはないので、写真も撮らなかったんだけどね!(笑)

「ゲエロの池」を過ぎると、左手に神社の鳥居が見えた。
入るとツバキやイチョウなど巨木があるなかなか良い鎮守の森といった赴きだ。




ここ八坂神社は、隣接の光明寺(真言宗)が、約250年前にこの辺りで疫病が流行した際に、京都の八坂神社を勧請したのが起こりとのこと。
八坂神社というと、素戔嗚尊(スサノオノミコト)と同一とされる牛頭天王を祀り、悪疫退散の功徳があるとされている。
有名な祇園祭は、疫病を鎮める祭りとして京の町衆の手によって1100年前より続けられている。この印内の八坂神社も近隣集落の民によって祀り守られてきたのだろう。






隣接の光明寺は、今は小さなお堂があるのみで、八坂神社の方が敷地の中心にありメインという感じがした。
本日まわっている神社(春日神社、葛飾神社、妙見神社)の中で初めての平地に位置する神社。


素戔嗚尊は、勝手ながら私の守護神とも思っているので、特に厚く参拝をした。



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寺内 妙見神社(千葉県船橋市西船橋周辺)

宝成寺より徒歩数分北へすすむ。
左側の台地の上に妙見神社がみえた。 案内によると、往古は海の入り江であったらしい。本日巡った、春日神社葛飾神社宝成寺、そしてこの妙見神社はすべて海沿いの台地に作られている。 台地は古代人の住居地であり、時代がぐぐっと下った後も集落や寺、神社がある場所なのだ。










この地は「寺内」と称し、鎌倉時代から寺院内の集落として栄えてきたという。 御祭神は、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)で、「古事記」によると天地開闢の際に高天原に最初に出現した神だ。妙見菩薩と習合し妙見大神として、千葉県北部(下総国)一帯で栄えた豪族・千葉氏が尊崇した神である。




この妙見信仰は、農耕など民衆の生活に根ざした信仰ではないため、ここに祭られているということは、千葉氏の勢力がこの地と関わりがあったことを意味するので非常に興味深い。一族の館なんかも鎌倉期辺りにはあったんだろうな。


本殿は一間社流れ造りで、江戸時代末期の造営。


本殿より、集落を見下ろす。江戸期には水田が、古代には海が広がっていたんだろう。
参拝を済ませて、またも道を北へゆく。





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宝成寺(千葉県船橋市西船橋周辺)


葛飾神社の裏手から、恐らく江戸時代からあるであろう旧道が北に伸びていた。
こんな古くからある道は決まって史跡なんかが多いといえるので、当然の如く歩いてみた。

数分行くと、京成電車の線路の踏切。すぐ近くには「京成西船駅」があった。ほとんど民家の中に位置してる駅に驚きつつ踏切を渡る。

千葉に引っ越してつくづく思うのが、地主が多いこと。この付近も、昔ながらの由緒正し(そうな)大きなお屋敷が並んでいる。

そんなコトを思いつつあるくと、すぐ左に寺院らしき門構えが見えてきた。




入り口付近にある案内には、「市指定文化財/成瀬氏の墓」とあった。
成瀬氏といえば、徳川家譜代の大名で、愛知県の犬山城の城主(大名じゃなく尾張藩の御附家老)。現当主は最近まで国宝の犬山城を私有してたこともよく知られている。

案内には、成瀬正成がまず栗原藩主として任じられ、そこから犬山へ移ったらしい。その際に次男・成瀬之成が第2代藩主として市川から船橋にかけて1万5000石を領したとのこと。
ここ宝成寺は、成瀬氏の菩提寺として之成、之成に殉死した3人の家臣、第7代犬山城主成瀬正寿など一族の墓がある。





本堂は、ほんとココ最近に新しくなったようで、ものすごく綺麗だった。墓地も整備されちょっと往年の赴きがなくなってしまったのが残念だが、大名クラスの菩提寺とあって、未だに檀家もしっかりしているんだろう。



門の上には、やはり成瀬氏の家紋「丸に酢漿草(かたばみもん)」



参拝を済ませ、また元の旧道に戻り散策を続けることにした。















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葛飾神社(千葉県船橋市西船橋周辺)

春日神社を後にして、千葉街道を東京方面へ5分ほどいくと、またも大きな街路樹があった。
これを過ぎた所に「葛飾神社」が鎮座していた。




掃除も綺麗に行き届き(正月だからか?)小さいが趣きもなかなかといったところ。由緒書を見てみると、葛飾郡の総社として崇められてきたとのこと。思いもよらず由緒正しい神社だと分かりビックリ!



階段を昇ると、これまた良い雰囲気の社殿が見えた。元は違う場所にあり、この地にて熊野神社と合祀した際に、村社になったらしい。う〜ん、それって格下げ?
葛飾郡といったら東西を千葉県船橋市から東京都江東区。北を茨城や埼玉までとする広大なエリアだ。旧社地の社殿は、もっと大きかったのかが非常に気になります。


祭神は、瓊瓊杵尊・彦火火出見尊・熊野大神の三柱。
瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)・彦火火出見尊(ホオリノミコト/山幸彦)の親子の、天孫降臨神話の主役がここに祀られているのも興味深い!


目の前が千葉街道。きっと海岸線が目下に広がっていたんだろう。





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春日神社(千葉県船橋市西船橋周辺)

いつもJRに乗っている最中、西船橋駅前繁華街の奥に森が見えるのが気になっていた。なんだろ?おそらく神社か仏閣か??

そんな訳で、途中下車。向かってみることに。

総武線沿線に引っ越してきてから、初めての下車となる西船橋駅。なかなか古く歴史のある街だと改札を出てすぐ分かった。駅前の道沿いには、昔ながらの商店が並んでいた。


ん?まさか車内から見えていたのはこれじゃないだろうな??
でも、旧街道(千葉街道)沿いなので、この木は結構前からの街路樹なんだろう。

この街路樹の横の建物脇に、小さな参道がありました。参道前には自転車だらけ。。。(泣)



小さな丘を登っていくと…

…見えてきました社殿が! 由緒書もなにもないので、祭神なども分からないのですが、社殿横の碑に「春日神社」とあるので、藤原氏の氏神を祭った奈良の「春日大社」を勧請した神社でしょう。
千葉の総武線沿線は江戸期まで海岸線だったので、この社を祭る丘も海に面した場所だったんでしょうね。


社殿脇には、船橋市の西図書館。参拝を済ませ、さらに付近の神社を散策することにしました。
つづく





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2010年1月1日金曜日

前原 御嶽神社 初詣(千葉県船橋市前原周辺)

本日は、元日。
去年は、本当に辛い一年間だったので、今年一年の商売繁盛を祈願しに、家族揃って初詣に出かけた。なんといっても御嶽神社はうちの氏神さまだからだ。


いつもは、ひっそりとしている参道だが、本日は違った。
初詣の参拝客の列がズラ〜〜〜〜っと並ぶ。こんな御嶽神社は見たことない。10月に出店が立ち並んだ例祭も盛況だったが、寒い中参拝でこんなに並んでいる光景は初めてだ。



約20分ほど並び、家族揃っての参拝を無事済ませた後は、そのまま境内を抜け田喜野井公園へと向かった。4歳の息子が大好きなチューブスライダー(巨大滑り台)があるからだ(笑)


さぁ、今年は良い年にするぞ!!参拝しといてなんだが、他力本願じゃなく自力でね。

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